三井砂川炭鉱 地図番号
   三井資本により道内で初になる鉱区開発から採炭までを行っていた炭鉱であり、 空知炭田の中央に位置する三井砂川炭鉱は、明治31年三井鉱山が鉱業権を設定し、大正3年8月に第1坑を開坑。大正7年11月には函館本線支線も開通したことから、翌年からの出炭量も急増していく。 昭和3〜4年の出炭量は70万トン近くに昇 り、昭和10年代には100万トン以上にも達し、昭和15年には161万トンを記録して、石狩炭田有数の炭鉱に発展。戦後も昭和30年代以降、年間100万トン体制を維持 したが、昭和62年に閉山。 この立坑の鉄骨は独特の組方になっており、溶接を使わずすべてリベットで固定されている。これは歴史的に貴重なものといわれていて現在では別の事業用として、立坑を使った無重力実験に利用。

(三井砂川炭鉱構内)

 
(三井砂川炭鉱 選炭場)


  (三井砂川炭鉱構内 構内トロッコによる石炭の運搬風景)