南大夕張炭鉱 地図番号
   明治31年頃福山某が試作権を得、福山坑と称していたが、その後幾多の変遷を得ていきました。大正5年1月三菱合資会社が鉱区を買収、三菱合資会社大夕張炭鉱と称し、この後逐次事業の拡充を図っていきました。しかし炭層の変動が著しく多数開坑したにもかかわらず、中途で閉坑したものも多くくありました。三菱合資から独立した三菱鉱業(株)は昭和41年鉄鋼業界を始めとする原料炭増産の要請に応え、同9月三菱鉱業(株)は南大夕張開発事務所を設置し、同年第一・第二斜坑・排気立坑の掘さくを開始しました。出炭は昭和44年度は26,257tであったが、同47年度には年産100万tを達成し、昭和48年12月には三菱大夕張炭鉱(株)と三菱高島炭鉱(株)の両社を合併し、三菱石炭鉱業(株)と名称を変更し、さらに南大夕張炭鉱(株)へと名称を変更していきました。昭和62年6月には深部区域の採掘を中止し浅部区域へ集約し、需要の低迷に対応していきましたが平成2年3月に閉山しました。